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2006年 03月 21日
ベルリンで買ったデジカメの充電機のコンセントの型が日本とは違う…どうしよう…という帰国後の戸惑いもうまく解消され、そろそろ旅の夢からも覚めてきたバイト(さ)です。
ベルリン編プラハ編と続いた旅日記も今回で最後、三カ国目はハンガリーのブダペストです。 プラハからユーロラインという深夜バスで8時間半の大移動。 見送りにはプラハで私を助けてくれた日本人のナイスガイ2人(本当にナイスガイですが残念ながら2人とも彼女持ち)が来てくれました。 寝酒とお菓子を出発前に買い込み準備万端で乗り込んだバスは、これから始まる不幸のラストスパートのほんの序章でしかありませんでした。 出発予定時刻から一時間遅れでようやくターミナルに到着したところまでは許せましたが、座った席が最悪でした。 後ろの席の三人組が喋る喋る。大はしゃぎ。 バスで眠れるようにと日中くたくたになるまで歩き回り、寝酒まで用意した私の計画も虚しく、 真っ暗なバスの中彼らの会話だけが朝まで続きました。 さて、ブダペストでは行きつけのバーをつくりました。 プラハで会った日本人の彼らが教えてくれた宿の近くのスポーツバー、チャンピオンズです。 マルゲット島やお城などの観光地をまわったり、あちこちの蚤の市に出掛けては、毎晩そこで飲んだくれました。 ブダペストでの最後の日はチャンピオンズのマスター、ビーロの休日とあって、すっかり仲良くなった私はビーロにブダペストを案内してもらえることになりました。 しかし約束の時間に彼は来ません。 待ち合わせ場所の屋根も無いスーパーの前で雪の中堪え続け、一度は見切りをつけましたが2時間後に試しにチャンピオンズに寄ってみました。 今思えばここで彼と会えたのはラッキーでも何でもなかったのです…。 うまくビーロに会えた私は、どんなブダペスト観光をするのだろうとわくわくしてました。 しかしまず最初に彼が始めたのはputtoというロト6のようなくじでした。 それで一発当てて日本に一緒に帰ると言い出したのです。 訳の分からないまま共同出資だ、と3000フォリントの全財産中、2000フォリントを徴収されました。 当然puttoで勝つこともなく、失意の彼が次に向かったのはジャズバーでした。 素敵な音楽と美味しいスープ、美味しいお酒に酔いしれ、いつしか私はビーロにも酔っていきました。 その後も何件もバーをハシゴし、その全てをタクシーで移動、ブダペストの夜景も堪能し、気分はすっかりお金持ちです。 しかし最後のバーで彼は私に2000フォリントくれ、と言ってきました。 puttoに2000フォリント出した私には1000フォリントしか残っていません。 支払いが足りなくなったのかな、と、ビーロに酔った私はこれで全部であることを告げ全財産を渡してしまいました。 しかし彼が最後に向かったのは、カジノだったのです。 彼はちょっとキザなバーのマスターでも、日本人好きの親切なハンガリー人でも何でもありませんでした。 ただのタチの悪い酔いどれギャンブラーだったのです。 ようやく酔いから醒めた私。1000フォリントもカジノ資金でしかなかったことに気付いたときはもう遅かったのです。 「あと5分」と「あと1回」を何十回も繰り返し、結局延々4時間もカジノに付き合わせられました。 そして彼は、持っていた現金は勿論、貯金を含め全財産を失ったのです…。 明け方4時半、部屋のみんなにアイムソーリーと言いながら慌しく荷造り。 ビーロが用意しておいてくれているはずの空港までのバスのチケットの当ても外れ。 見送ると言っておきながらお金が無いからタクシーはおろかメトロにも乗れない始末。 6時半にビーロが無理やり頼み込んだタクシードライバーの友人チョボが迎えに来てくれましたが、酔いつぶれた彼は部屋で爆睡。 やっと空港まで着いて、何回もチョボにサンキューと言いタクシーから降りようとすると え? という反応。 実はビーロ、取り敢えず迎えに来てくれと言っただけで、チョボにタクシー代を払ったわけでも、私たちの財布事情を話していたわけでもなかったのです。 事態を把握した私は、ポケットに入っているありったけの小銭を差し出し許してもらおうとしましたが、チョボは優しく微笑み、ノーセンキューと言って私の手を押し戻しました。 ありがたさと申し訳なさと情けなさで泣きそうになりながらチョボを見送り、全部で19kgもあった三週間分の荷物に背筋を痛めそうになりながら、無事帰りの飛行機に乗ると、最後の一晩の出来事が思い返されました。 あんなに楽しいことや嬉しいことがいっぱいあったのに、最後の一夜で全てがドンデン返った気がします。 終わりよければ全て良しといいますが、終わりが悪いと全てが悪かったように感じるので不思議です。 ビーロに対する怒りや憤りのようなものも感じましたが、殆どは自分への情けなさで、何ともいえない後味です。 こうして私の3週間に渡るグレートジャーニーは幕を閉じました。 本当はここには書ききれない思い出がたくさんありましたが、本当に人には言えないようなこともあるので発表するのは遠慮しておきます。 こんな思いをしてもまた旅に出たいと思う人間って、不思議な生き物ですね。
by roofhp
| 2006-03-21 22:26
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